トムホーバスの妻との馴れ初めや家族構成・支え合ってきた感動秘話

トムホーバスの妻との馴れ初めや家族構成・支え合ってきた感動秘話

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トムホーバス監督は、日本女子バスケットボール代表を東京オリンピックで銀メダルに導き、現在は男子日本代表のヘッドコーチとしても活躍している指導者です。

そんなトムホーバス監督の成功の裏には、妻の存在が欠かせないと言われています。本記事では、トムホーバスの妻との馴れ初めや結婚、単身赴任生活、家族構成について詳しく解説していきます。

◆記事のポイント

・トムホーバス監督と妻・英子さんの出会いや結婚までの経緯
・単身赴任生活を支える妻や家族との信頼関係
・妻や子どもたちの現在の活動や家族構成
・トムホーバス監督の日本語習得や指導における妻の影響

トムホーバスの妻との出会いや家族構成を解説

・妻は日本人で名前は英子さん
・妻との馴れ初めは六本木のナンパ
・妻との結婚はNBA挑戦後
・自宅はアメリカ・サンディエゴ
・妻と支え合った単身赴任生活
・妻と子ども達の現在の活動と家族仲

妻は日本人で名前は英子さん

トム・ホーバス監督の妻は、日本人の英子(えいこ)さんという方です。トムホーバス監督は、現在まで日本バスケットボール界で大きな成果を残してきましたが、その裏には英子さんの存在が欠かせなかったと言われています。

英子さんは、国際感覚に優れた女性で、英語やフランス語も話せる語学堪能な方です。特にトムホーバス監督がアメリカ人であるにも関わらず、日本語が非常に上手で、通訳を介さずに選手やメディアと直接やり取りできるほど流暢なのは、英子さんの影響が大きかったと言われています。日常会話から日本語を学び、監督として指導する際も妻との日本語での会話がトレーニングになっていたそうです。

また、英子さんは表に出ることは少ないですが、テレビ番組「しゃべくり007」や「深イイ話」に出演し、トムホーバス監督との結婚生活やサポートエピソードを語ったことがあります。見た目については、写真などから高い鼻立ちが印象的な美人であると言われています。実際、ネット上でも「綺麗な奥さん」という声が多く見られました。

さらに、英子さんはトムホーバス監督がNBAに挑戦する際にも、渡米を後押しした重要な存在でした。異国でのチャレンジに不安を感じる夫に対し、背中を押し、アメリカでの活動を支えたと言われています。監督本人もインタビューで「妻がいなければNBAには行けなかった」と語っています。

そして、現在は家族と共にアメリカ・サンディエゴを拠点に生活し、トムホーバス監督は日本で単身赴任を続けているというスタイルを取っています。離れていても、常に家族の支えを感じながら指導にあたっているのです。

妻との馴れ初めは六本木のナンパ

トムホーバス監督と妻・英子さんの出会いは、1990年に東京都六本木で偶然に起こりました。当時、トムホーバス監督は日本の実業団チームであるトヨタ自動車バスケットボール部(現・アルバルク東京)に所属し、日本に来たばかりの頃でした。

その年、六本木にあったクラブ「モータウンバー」に友人と訪れていたトムホーバス監督は、そこで英子さんと出会います。監督は当時から積極的な性格で、英子さんに一目惚れをして、その場で声をかけた、つまりナンパをしたと語られています。最初は断られてしまったそうですが、後日、偶然にも再会するという運命的な出来事が起こりました。六本木という多くの人が行き交う街で再び出会えたことが、2人にとって特別な縁となり、交際がスタートします。

交際当初、英子さんの家族、とくに父親は交際に驚いたと言われています。理由は、トムホーバス監督が身長203cmという大柄な外国人だったためです。当時、日本では身長2メートル超えの外国人が身近にいるということ自体が珍しく、娘がそのような相手と交際していることに家族は戸惑ったようです。

しかし、トムホーバス監督がバスケットボール選手として真剣に競技に取り組む姿や、誠実な人柄が理解され、交際は順調に続きました。ところがトムホーバス監督には、NBAという夢があり、英子さんとの結婚よりも先にアメリカへ挑戦する決断をします。この決断にも英子さんは理解を示し、むしろ背中を押したと言われています。

その後、トムホーバス監督は28歳でNBAチーム「アトランタ・ホークス」のテストに合格し、念願のNBA選手となりました。そして、NBA挑戦後に帰国し、5年間の交際を経て、1995年に英子さんと結婚しています。このように、2人は偶然から始まった出会いが、強い信頼関係に発展し、夫婦となったのです。今でもトムホーバス監督は、当時のナンパを「人生最大のラッキーだった」と語っています。

妻との結婚はNBA挑戦後

トムホーバス監督と妻・英子さんは、1995年に結婚しています。この結婚は、トムホーバス監督がNBAへの挑戦を終えた後に実現しました。出会いは1990年、六本木のクラブでの偶然のナンパでしたが、交際がスタートしてから実に5年間の交際期間を経て結婚に至ったのです。

当時、トムホーバス監督は日本の実業団チーム・トヨタ自動車でプレーしていましたが、心の中ではNBAという夢を強く抱いていました。英子さんとの交際中も、「結婚よりもNBAに挑戦したい」という気持ちを持っていたといいます。これに対して、英子さんは理解を示し、むしろ彼の挑戦を応援しました。実際に、NBAのアトランタ・ホークスに挑戦する際も、英子さんはアメリカへの渡米を支えたそうです。

トムホーバス監督は28歳の時、アトランタ・ホークスのトライアウトに合格し、夢であったNBAの舞台に立ちました。試合出場はわずか2試合でしたが、彼にとっては大きな達成感があり、その経験が現在の指導哲学にも影響を与えています。

NBA挑戦を終えた後、トムホーバス監督は日本に戻り、1995年に英子さんと結婚します。結婚式の詳しい場所や様子についての公式な情報は少ないものの、家族や関係者の間では心温まる式だったと伝えられています。英子さんの父親は、最初こそ交際相手が身長203cmの外国人で驚いたそうですが、トムホーバス監督の真面目で誠実な人柄に安心し、結婚を認めたと言われています。

英子さんは、その後もトムホーバス監督が日本やアメリカを行き来する中で、常に彼を精神的・実生活面の両方で支え続けました。夫婦二人三脚で築いた信頼関係は、現在も変わることなく続いているようです。

自宅はアメリカ・サンディエゴ

トムホーバス監督の自宅は、アメリカ・カリフォルニア州のサンディエゴにあります。家族全員がサンディエゴを拠点としており、トムホーバス監督はそこから単身で日本に赴任する生活を続けています。つまり、長年にわたり「単身赴任」と「家族との遠距離生活」を両立させてきたのです。

サンディエゴは、アメリカ西海岸に位置する温暖な気候と美しい海岸線が魅力の都市です。治安も比較的良く、教育機関やスポーツ環境も充実しているため、アメリカ国内でも人気の高い居住地です。英子さんと子どもたちは、この街で生活の基盤を築いています。

実際に、長男・ドミニクさんはサンディエゴを拠点にバスケットボールコーチや理学療法士として活動しており、長女・マリッサさんも学生時代をカリフォルニア州で過ごし、現在はアプリデザイナーとして働いているとされています。家族全員がアメリカ国内でそれぞれのキャリアを築いているのが特徴です。

ただし、この生活スタイルにはメリットだけでなくデメリットもあります。トムホーバス監督は、日本で長期間単身生活を送っているため、家族との時間が限られてしまうのです。特に、子どもたちが成長する大切な時期にそばにいられないことを悩んだ時期もあったようです。しかし、その分、家族で再会する時はとても充実した時間を過ごしているとインタビューなどで語っています。

ちなみに、トムホーバス監督は、日本での活動が長期化する中でも、オフシーズンや国際大会後はできる限りサンディエゴに帰り、家族との時間を大切にしています。バスケットボールという仕事と家族という支えの両立を、工夫しながら実現しているのです。

妻と支え合った単身赴任生活

トムホーバス監督は、2010年に日本女子バスケットボール界の名門「JXサンフラワーズ」のコーチに就任して以来、10年以上にわたり日本で単身赴任生活を続けています。一方、妻の英子さんと子どもたちは、アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴに生活の拠点を置いています。家族が海を越えて離れて暮らすという状況にもかかわらず、夫婦は強い信頼関係で支え合ってきました。

単身赴任が始まったきっかけは、トムホーバス監督が指導者として日本でのキャリアを積むためでした。2010年にコーチとして来日し、その後、日本女子代表や男子代表のヘッドコーチに就任するなど、日本バスケ界で重要な役割を担うようになります。しかし、子どもたちの学校や将来のことを考え、英子さんはアメリカに残るという決断をしました。

一方で、英子さんはアメリカにいながらも、夫の仕事を積極的にサポートしています。試合や大会があるときには、英子さんや子どもたちは日本や国際大会の現地に足を運び、家族で観戦・応援する姿がたびたび目撃されています。2023年のFIBAバスケットボールワールドカップでも、英子さんをはじめ家族全員が沖縄アリーナに姿を見せており、会場で日本代表の戦いを見守っていました。

また、トムホーバス監督も仕事の合間にはサンディエゴに帰省し、短い期間でも家族と過ごす時間を大切にしているようです。実際、インタビューでは「家族と過ごす時間が心の栄養」と語ったこともあります。忙しい中でも夫婦がお互いの立場を理解し、遠距離でも深い信頼関係を築いてきたからこそ、単身赴任生活が長期間続けられているのです。

こうした生活スタイルは決して楽なものではありませんが、英子さんが語った「大事なのは距離よりも気持ち」という言葉が、2人の夫婦関係を象徴していると言えるでしょう。

妻と子ども達の現在の活動と家族仲

トムホーバス監督と英子さんの間には、2人の子どもがいます。長男のホーバス・ドミニクさんと長女のホーバス・マリッサさんです。それぞれがアメリカで自分の道を歩みながらも、家族はとても仲が良く、互いに支え合う関係が続いています。

長男のドミニクさんは1996年8月31日生まれで、現在は高校バスケットボールのコーチと理学療法士として活動しています。サンディエゴで育ち、サンディエゴシティ大学やコンコルディア大学でバスケットボール選手としてプレーした後、コーチの道を選びました。父親譲りのバスケットボールへの情熱を持ち、若くして指導者の立場に立っています。2023年には父であるトムホーバス監督の試合を会場で応援する姿も見られ、「父の信念ある指導を尊敬している」とコメントするなど、父へのリスペクトを隠しません。

長女のマリッサさんは1999年生まれで、幼少期からフィギュアスケートに取り組み、アメリカ代表として大会に出場した経験もあります。大学はカリフォルニア大学サンタバーバラ校、ミシガン大学を卒業し、現在はアプリデザイナーとしてキャリアを築いています。仕事と趣味の両立を大切にし、サンディエゴで充実した生活を送っているようです。

また、家族仲についても良好であることが、さまざまなメディアやインタビューから伝わっています。特に、2021年のテレビ番組でマリッサさんは「離れて暮らしていても、父とは頻繁に連絡を取っています」と語っており、普段からオンライン通話やメッセージを通じて家族の絆を保っていることがわかります。

さらに、英子さんは夫のNBA挑戦時代から現在に至るまで、家族をまとめる存在として夫と子どもたちを支えてきました。英語とフランス語を話せる国際派の一面もあり、日本とアメリカを行き来しながらトムホーバス監督のサポートを続けてきました。

このように、ホーバス家は国を超えても深い絆で結ばれています。それぞれが自分の道で活躍しながらも、節目ごとには家族で集まり、強い信頼関係を築き続けているのです。

 

トムホーバスの妻が支える指導者としての歩み

・経歴とバスケ界での実績
・若い頃の選手時代とNBA挑戦
・年収や指導者としての評価
・日本語が上達した理由
・八村塁との関係や指導エピソード
・続投・退任・発言が話題に
・本に込めたバスケへの想い

経歴とバスケ界での実績

トム・ホーバス監督は、アメリカ・コロラド州デュランゴ出身で、幼少期からバスケットボールに親しんできました。5歳の頃からバスケットボールを始め、高校時代はウィディフィールド・ハイスクールで活躍し、その後ペンシルベニア州立大学(通称ペンステート)に進学しています。大学時代も優秀な成績を収め、卒業後はプロバスケットボール選手としての道に進みました。

初めてのプロ契約は、ポルトガルのスポルティング・クラブとの契約です。その後、1990年に来日し、日本リーグ(当時)でトヨタ自動車バスケットボール部(現・アルバルク東京)に入団しました。ここでの活躍が評価され、1年目から4シーズン連続で日本リーグ得点王、2年連続3ポイント王という圧倒的な成績を残します。この期間に日本バスケファンからも高く支持され、リーグを代表する外国人選手となりました。

1994年には、NBAアトランタ・ホークスと契約し、夢であったNBA選手としてプレーを実現します。NBAでは2試合の出場に留まりましたが、日本リーグでの実績やその後の指導者としてのキャリアに繋がる重要な経験となりました。

引退後は、アメリカで一時ビジネスマンとしてIT企業の副社長を務める傍ら、バスケットボールへの情熱を捨てきれず、高校生のコーチとしても活動していました。その後、2010年に日本女子バスケットボール界からオファーを受け、JXサンフラワーズ(現ENEOSサンフラワーズ)のコーチとして日本に再び戻ります。

2017年には日本女子代表のヘッドコーチに就任し、FIBA女子アジアカップ連覇(2017年、2019年)、東京オリンピックでは日本女子代表を銀メダルに導く大きな成果を挙げました。これは日本バスケ史上初の快挙であり、世界中から称賛を受けました。

2021年9月からは男子日本代表ヘッドコーチに就任。2023年のFIBAバスケットボールワールドカップでは、日本を1976年モントリオール大会以来となる48年ぶりのオリンピック自力出場権獲得に導きました。選手への信頼を重視した指導や戦略構築が高く評価されています。

このように、トム・ホーバス監督は日本バスケットボール界において、女子・男子両方で歴史に名を刻む存在となっています。

若い頃の選手時代とNBA挑戦

トム・ホーバス監督の若い頃は、バスケットボール選手としても非常に印象的なキャリアを築いています。アメリカ・コロラド州デュランゴで育ち、高校ではウィディフィールド・ハイスクールに進学し、すでに高身長とバスケセンスを活かしてチームの中心選手として活躍していました。

大学は、バスケットボールの強豪校として知られるペンシルベニア州立大学に進学します。在学中は、スモールフォワードとしてチームの主力を担い、NCAAディビジョンIで厳しい戦いを経験しました。1989年のNBAドラフトでは指名を受けませんでしたが、夢を諦めずプロ選手を目指しました。

1990年、海外での挑戦を決意し、日本リーグのトヨタ自動車に加入します。当時の日本リーグは「実業団」と呼ばれ、会社員として仕事もしながらバスケットボール選手として活動するスタイルでした。トム・ホーバス監督も、トヨタ自動車の社員として日中はオフィスで働き、夜や休日にバスケの練習と試合をこなす生活を送っていました。

驚くべきことに、そんな環境下でも、1990年から1993年まで4年連続で得点王、2年連続で3ポイント王を獲得し、日本バスケ界に強烈なインパクトを残しました。その活躍がアメリカにも届き、ついに1994年、NBAアトランタ・ホークスとの契約に成功します。

NBAでは、主にベンチメンバーとして過ごし、出場は2試合に限られましたが、本人にとっては「やり切った」と語るほどの達成感があったそうです。後のインタビューでは、NBA挑戦中は厳しい競争や環境に苦しんだものの、「この経験が後の指導者人生に活きた」と話しています。

NBAでの短いキャリアを終えた後は再び日本に戻り、トヨタ自動車、そして東芝(現・川崎ブレイブサンダース)でプレー。2001年に現役を引退するまで日本バスケに深く関わり続けました。

このように、若い頃から異国のリーグで活躍し、苦労しながらもNBAの夢を叶えたトムホーバス監督は、まさに努力と挑戦を体現した選手だったと言えるでしょう。

年収や指導者としての評価

トムホーバス監督の年収は正式には公表されていませんが、日本バスケットボール協会(JBA)からの契約やメディアでの報道をもとに推測されることが多いです。一般的に、バスケットボール日本代表のヘッドコーチの報酬は、女子代表時代で年収3,000万円前後、男子代表に就任してからは5,000万円~7,000万円程度とも言われています。また、書籍の執筆、講演、メディア出演なども行っており、これらからの副収入も見込まれているようです。

しかし、年収以上に注目されているのが、トムホーバス監督の指導者としての評価です。トムホーバス監督は2017年に女子日本代表ヘッドコーチに就任し、2017年と2019年のFIBA女子アジアカップを連覇、2021年東京オリンピックでは日本女子代表を史上初の銀メダル獲得に導きました。こうした実績から、国際バスケットボール連盟(FIBA)や国内外のバスケットボール関係者から高い評価を得ています。

指導スタイルは「信頼と明確さ」を重視しており、選手たちに対しては戦術だけでなく、メンタル面のケアや自主性の尊重を大切にしています。特に、「選手とコーチは信頼関係がすべて」という信念を持っており、これがチーム作りにおける柱になっています。

また、2021年からは男子日本代表のヘッドコーチに就任し、2023年のFIBAバスケットボールワールドカップで、48年ぶりにオリンピック自力出場権を獲得した実績も評価されています。一方で、男子代表においては世界との差がまだ大きく、パリ五輪では厳しい戦いが続いたことから、批判の声があるのも事実です。しかし、多くの選手や関係者からは「信念を持った指導」「選手を信じ抜く姿勢」が信頼されており、指導者としての評価は総じて高いと言えるでしょう。

日本語が上達した理由

トムホーバス監督が流暢な日本語を話せる理由は、長年にわたる日本滞在と、日常生活の中での実践的な学習にあります。彼は1990年に日本のトヨタ自動車に入団し、日本リーグの選手としてプレーを始めた際から日本語に触れる機会が多かったのです。当時から、外国人選手でありながらも積極的に日本語を学ぶ姿勢を持っていたと言われています。

特に大きかったのが、妻である英子さんの存在です。トムホーバス監督は、日常生活で英子さんと日本語で会話することで、自然と語学力を高めていきました。家庭内での会話は全て日本語だったため、実践的な表現やニュアンスも身につけることができたそうです。また、本人も「妻との会話が一番の日本語の勉強だった」と語っています。

さらに、指導者として日本に戻った2010年以降は、女子チームや代表選手とのコミュニケーションを円滑に行うために、通訳を介さず、直接日本語で指導することを決意します。これについては「通訳を入れるとニュアンスが変わってしまう。多少間違っていても、自分の言葉で伝える方が信頼される」と本人が明言しています。

実際、試合中やタイムアウト中のトムホーバス監督は、感情のこもった生きた日本語で選手に指示を出し続けています。選手やファンからも「外国人コーチとは思えない」「説得力がある」と高く評価されています。

また、彼は語学学習においても努力を惜しまず、スマートフォンに日本語学習アプリを入れて日々勉強していたことも明かしています。時には語彙不足で言葉が直接的になりすぎることもありましたが、そのたびに表現方法を工夫し、選手に誤解なく伝わるように改善を続けてきました。

このように、トムホーバス監督の日本語力は、妻との生活、日本での長年の経験、そして何よりもバスケットボール指導に対する情熱によって磨かれてきたものなのです。

八村塁との関係や指導エピソード

トムホーバス監督と八村塁選手の関係は、2021年にトムホーバス氏が男子日本代表のヘッドコーチに就任してから本格的に築かれてきました。八村塁選手は、NBAのワシントン・ウィザーズ、現在はロサンゼルス・レイカーズで活躍する日本バスケットボール界のスター選手です。日本代表におけるエース格でもあり、ホーバス監督にとってもチームの柱として大きな期待を寄せていました。

ホーバス監督が男子代表を率いるようになった直後は、八村選手との間に距離感があると言われた時期もありました。2021年東京オリンピック直後には、八村選手が「メンタル面での疲労」を理由に、代表活動を休止する決断をしたことが話題となりました。この時、一部のメディアやファンの間では「ホーバス監督との関係に問題があるのでは」との憶測も出ました。

しかし、これについては八村選手本人が「監督やチームメイトとは良好な関係を築けている」と発言し、誤解を払拭しています。また、ホーバス監督自身もインタビューで「八村とはしっかり話し合っている」「彼はチームにとって必要不可欠な存在」と語っています。実際に、2023年のワールドカップ前には、ホーバス監督が直接アメリカまで足を運び、八村選手と面談したことも報じられました。

さらに、ホーバス監督は八村選手の持つNBA仕込みのフィジカルや個人スキルを生かすために、チーム全体のオフェンスやディフェンスのシステムを調整するなど、八村選手を中心に据えた戦術を模索しました。実際に、八村選手が代表合流時には、彼のプレーに合わせたセットプレーが用意されていたと言われています。

八村選手もホーバス監督の戦術に対して「明確でわかりやすい」「やるべきことが整理されている」と好意的な意見を示しており、選手・監督の関係は信頼に基づくものとなっています。もちろん、短期間で完全に信頼を築くのは難しいものですが、公式戦や会見などを見る限り、ホーバス監督と八村選手の間には、誠実で前向きなコミュニケーションが続いている様子がうかがえます。

続投・退任・発言が話題に

トムホーバス監督の続投や退任については、2024年のパリオリンピックを前後して特に注目が集まりました。パリ五輪では、日本男子代表は残念ながら1次リーグ敗退となり、結果的に3連敗で大会を終える結果となりました。そのため、五輪後の進退について、メディアやバスケットボールファンの間で大きな話題となったのです。

ホーバス監督の去就については、大会直後の8月2日に行われた記者会見で、JBA(日本バスケットボール協会)の東野技術委員長が「監督本人の意思も含め、帰国後に話し合う」とコメントしています。実際には、ホーバス監督自身も「すべてが終わったわけではない」「日本バスケの成長のためにできることはまだある」と発言しており、退任を前提とした発言は行っていませんでした。

その後、10月にJBAから正式に続投が発表されます。続投決定の背景には、ホーバス監督の強い意欲と、選手たちの信頼があったとされています。2023年のワールドカップで48年ぶりとなるオリンピック出場権を獲得した功績が、協会や選手からも高く評価されていたためです。

一方で、ホーバス監督の一部の発言や指導法に対しては、賛否が分かれることもありました。例えば、ワールドカップでのタイムアウト時に選手へ強い口調で指導する様子が中継され、ネット上では「厳しすぎるのでは」という意見と「情熱的で信頼できる指導者だ」という声が交錯しました。

また、ホーバス監督は「日本にはもっと高いスタンダードが必要」「世界で勝つためには甘さを捨てるべきだ」と公言しており、時に選手たちに厳しい課題を課してきました。選手やコーチ陣との信頼関係がなければ成り立たない指導スタイルであり、実際、選手たちからは「厳しいけれど信頼できる」という声が多く聞かれます。

こうした経緯から、ホーバス監督の続投は賛否両論がありつつも、現場の選手からは歓迎されています。今後は、次のオリンピックや国際大会に向けて、さらにどのような戦略やチームづくりを進めるのか、多くのファンが注目しています。

本に込めたバスケへの想い

トムホーバス監督は、バスケットボール指導者としての経験や哲学をまとめた書籍をこれまでに複数出版しています。代表的な著書には「ウイニングメンタリティー コーチングとは信じること」(2022年)や「チャレンジング・トム – 日本女子バスケを東京五輪銀メダルに導いた魔法の言葉」(2022年)などがあります。これらの本には、単なる戦術やテクニックだけではない、彼自身が長年感じてきたバスケへの熱い想いや指導論が詳しく語られています。

まず、ホーバス監督が一貫して伝えているのは、「信じること」の大切さです。特に「ウイニングメンタリティー」では、バスケットボールは単なる技術やフィジカルだけでなく、信頼関係やメンタル面が勝敗を左右するスポーツであると説いています。ホーバス監督は、日本女子代表を率いた際、世界ランキング10位以下だったチームを東京オリンピックで銀メダル獲得に導きました。その背景には、選手たちに「自分たちでも世界に勝てる」という強い自己肯定感を植え付けたことが大きく影響していると記されています。

書籍の中では、コーチとして最も重要なのは「選手を迷わせないこと」「ブレないこと」であると何度も述べられています。これは、ホーバス監督が日本とアメリカで選手・コーチとして経験した成功や失敗から導き出した結論です。また、著書には、過去に選手時代で味わったNBAへの挑戦や、アメリカ帰国後の一般企業での勤務経験までもが描かれており、単にスポーツの話にとどまらず「人生論」としても多くの読者から共感を集めています。

さらに、2024年には新たに「スーパーチームをつくる! 最短・最速で目標を達成する組織マネジメント」を出版しました。この本では、バスケットボールに限らず、組織づくりやリーダーシップ論、チームビルディングに関する内容が解説されています。指導現場だけでなく、ビジネスや教育など、広い分野でも活用できると話題になりました。特に、パリ五輪男子代表を率いる中での葛藤や工夫も随所に盛り込まれ、最新の実体験に基づく指導論が紹介されています。

また、ホーバス監督は本の中で「日本には世界に誇れるチーム文化がある」とも記しています。自らが30年以上日本で指導や生活をしてきたからこそ感じた、日本人選手の素直さ、誠実さ、勤勉さが、世界で戦えるチームづくりの原点だと語っています。

これらの書籍は、バスケットボールファンはもちろん、一般のビジネスパーソンや教育関係者からも高く評価されており、特に組織や人材育成に悩む人にとってのヒントが多く含まれていると評判です。

トムホーバス監督は、書籍を通して「勝つチームづくり」に必要な要素を惜しみなく伝えており、読者に対しても「人を信じ、挑戦を続ける大切さ」を強く訴えています。今後も、彼の著書や活動から、多くの人が学びを得ることが期待されています。

トムホーバスの妻との絆と家族にまつわるエピソード総まとめ

・妻は日本人で名前は英子
・英子は英語とフランス語が話せる国際派
・トムホーバスが日本語を習得できたのは妻の影響が大きい
・出会いは1990年、六本木の「モータウンバー」でのナンパ
・ナンパ後、一度断られるが偶然の再会で交際が始まった
・英子の父親は最初トムホーバスとの交際に驚いた
・NBA挑戦前から英子は夫の夢を理解し支えた
・5年の交際を経て1995年に結婚
・結婚後も英子は夫の単身赴任を理解し、アメリカで家族を守った
・英子はテレビ番組で夫との結婚や支え合いの日々を語った
・自宅はカリフォルニア州サンディエゴに構えている
・長男ドミニクはバスケットボールコーチ兼理学療法士
・長女マリッサは元フィギュアスケーターで現在はアプリデザイナー
・英子は試合や国際大会に子どもたちと共に応援に訪れる
・夫婦は距離に負けない強い信頼関係を今も築き続けている

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